2010年04月19日
対人間力!
昨日、色々な事があって色々な話をした
そして最後にある人との会話の中での話を紹介したいと思う。
もちろんこれは私の持論なので、誰かに強要するものでもなく、意見が違うからと責めるものでもない。
しかしながらこの記事を見て、気分を害した方がいたらごめんなさい。
Net普及に伴い、多くの人とコミュニケーションを取れる時代になってきた。
HP、ブログ、mixi、最近ではTwitter。
Web上で多くの人とコミュニケーションが取れる様になった事は大変すばらしい事である。
しかし中にはWeb上のみで付き合う人数を誇らしげに言ったりする人がいる。
まぁ、それはそれで良いのだろうが、そこに何となく違和感を感じている。
私は(ここが持論ですが)その先に、実際に会ってみたり、ピアツーピアの何らかの取引が無ければ意味のない事じゃないか?と思う。
本当は、知り合った人数分だけ意見の違った人がいて、それに対して個々に適切に対応していく。
その少しずつの勉強が「対人間力」の向上につながっていくのではないか。
今は、他人と知り合うツールばかり増えて、そのツールの知識ばかり追い求める。
他人と向き合う事があっても、自分と意見が合わないからと、すぐに次の人に。
代わりはいくらでもいるのだと。
これでは「対人間力」の向上にはつながらない。
本当はツールの知識の向上と、「対人間力」の向上は比例しなければいけない。
常に相手より一歩引いて、相手のことを優先に考える。
自分が自分がと出しゃばらない。
他人の事を、うとまない。
人の意見は必ず聞く。聞いた上で自分で可否善悪を判断する。
まず話を聞いた上で、自分の考えをはっきりと言う。それは強要ではなくアドバイス風に。などなど。
ここでふと、僕がたまに参加するボランティアも同じなのかなぁ、と思った。
僕のボランティアの持論は
「自分が好きだからやっている」と言う概念であるから、人には強要しない。
「自分がこんなにやっているのに」なんて事は思わず、少しでも参加してくれた人に感謝する。
誰かに見てもらいたいから、目立ちたいから、認めてもらいたいから、ましてや見返りが欲しい。
こんなものはもはやボランティアとは言えない。
しかし、自分の目指すゴールの過程でお金も必要になるだろう。
アピールするために目立たなきゃいけない事もあるだろう。
それとは一線を引かなければならない。当然私利私欲の為であってはならない。
「対人間力」とボランティア。それはどれだけ相手に「無償の愛」を与えられる覚悟があるか。
それにつきる。
長々と書いてしまったが、そんな人でありたいと私は思う。
「もちろん失敗もあるさ。
でも、がんばってやっていればちゃんと見てくれている人はいるさー。」
そんな気持ちでいれば、今日もがんばれる。
そして、Netは多くの人と知り合える半面、悪いことも広範囲で広がる。
注意しなきゃね
話は違うかも・・・・・
だから皆さん最低限のマナー、Web上で人を悪く言うのはやめましょう。
それは一方的な相手への威圧であって、ただの自己満足。
誰も幸せになれないし、それを見た周りの人にも嫌悪感を与えます。
そして何より、結果自分の所に跳ね返ってきます。
使い方を間違えるとえらい目にあいますよ。
「対人間力」を高めましょう
何だか俺偉そう?
ごめんね

そして最後にある人との会話の中での話を紹介したいと思う。
もちろんこれは私の持論なので、誰かに強要するものでもなく、意見が違うからと責めるものでもない。
しかしながらこの記事を見て、気分を害した方がいたらごめんなさい。
Net普及に伴い、多くの人とコミュニケーションを取れる時代になってきた。
HP、ブログ、mixi、最近ではTwitter。
Web上で多くの人とコミュニケーションが取れる様になった事は大変すばらしい事である。
しかし中にはWeb上のみで付き合う人数を誇らしげに言ったりする人がいる。
まぁ、それはそれで良いのだろうが、そこに何となく違和感を感じている。
私は(ここが持論ですが)その先に、実際に会ってみたり、ピアツーピアの何らかの取引が無ければ意味のない事じゃないか?と思う。
本当は、知り合った人数分だけ意見の違った人がいて、それに対して個々に適切に対応していく。
その少しずつの勉強が「対人間力」の向上につながっていくのではないか。
今は、他人と知り合うツールばかり増えて、そのツールの知識ばかり追い求める。
他人と向き合う事があっても、自分と意見が合わないからと、すぐに次の人に。
代わりはいくらでもいるのだと。
これでは「対人間力」の向上にはつながらない。
本当はツールの知識の向上と、「対人間力」の向上は比例しなければいけない。
常に相手より一歩引いて、相手のことを優先に考える。
自分が自分がと出しゃばらない。
他人の事を、うとまない。
人の意見は必ず聞く。聞いた上で自分で可否善悪を判断する。
まず話を聞いた上で、自分の考えをはっきりと言う。それは強要ではなくアドバイス風に。などなど。
ここでふと、僕がたまに参加するボランティアも同じなのかなぁ、と思った。
僕のボランティアの持論は
「自分が好きだからやっている」と言う概念であるから、人には強要しない。
「自分がこんなにやっているのに」なんて事は思わず、少しでも参加してくれた人に感謝する。
誰かに見てもらいたいから、目立ちたいから、認めてもらいたいから、ましてや見返りが欲しい。
こんなものはもはやボランティアとは言えない。
しかし、自分の目指すゴールの過程でお金も必要になるだろう。
アピールするために目立たなきゃいけない事もあるだろう。
それとは一線を引かなければならない。当然私利私欲の為であってはならない。
「対人間力」とボランティア。それはどれだけ相手に「無償の愛」を与えられる覚悟があるか。
それにつきる。
長々と書いてしまったが、そんな人でありたいと私は思う。
「もちろん失敗もあるさ。
でも、がんばってやっていればちゃんと見てくれている人はいるさー。」
そんな気持ちでいれば、今日もがんばれる。
そして、Netは多くの人と知り合える半面、悪いことも広範囲で広がる。
注意しなきゃね

話は違うかも・・・・・
だから皆さん最低限のマナー、Web上で人を悪く言うのはやめましょう。
それは一方的な相手への威圧であって、ただの自己満足。
誰も幸せになれないし、それを見た周りの人にも嫌悪感を与えます。
そして何より、結果自分の所に跳ね返ってきます。
使い方を間違えるとえらい目にあいますよ。
「対人間力」を高めましょう

何だか俺偉そう?


Posted by ずめんや at 16:08│Comments(2)
│いろいろ
この記事へのコメント
こんにちは。
昔、ご近所のお姉さんがくれたコケシに書いて有った言葉
《身を削り 人に尽くさん擂り粉木の その味知れる 人ぞ尊し》
尊くはなれないかも知れないけれど、擂り粉木の味解るようになりたいと思っています。
昔、ご近所のお姉さんがくれたコケシに書いて有った言葉
《身を削り 人に尽くさん擂り粉木の その味知れる 人ぞ尊し》
尊くはなれないかも知れないけれど、擂り粉木の味解るようになりたいと思っています。
Posted by 吾亦紅(われもこう) at 2010年04月19日 18:39
吾亦紅さん コメントありがとうございます。
私は擂り粉木になります。
尊いほど少ない、わかってくれる人の為に、身を削ります。
もちろんわかってくれない人の為にも身を削ります。
でも擂ってくれる人がいるからゴマが擂れることを忘れずに。
擂り粉木だけではゴマは擂れません。
山椒の木の擂り粉木でなくてもいいのです。
自分の役割を忘れなければ(^^)/
私は擂り粉木になります。
尊いほど少ない、わかってくれる人の為に、身を削ります。
もちろんわかってくれない人の為にも身を削ります。
でも擂ってくれる人がいるからゴマが擂れることを忘れずに。
擂り粉木だけではゴマは擂れません。
山椒の木の擂り粉木でなくてもいいのです。
自分の役割を忘れなければ(^^)/
Posted by ずめんや
at 2010年04月20日 00:58
